「え、あ、はぁ……」
階級も年齢もずっと上な人物に『ありがとう』なんて言われては、コビクとしては困ってしまう。こういう時はどうしたものだろう。ええと、ええと……。
「あの、もし――ご友人に、何かご伝言がございましたら、承ります」
咄嗟にそう言ってしまった彼女の言葉――それはある意味、禁句だった。自分には何も言う資格は無い、ダクウには痛いほど分かっていた。
敵に情報を流しているのは、他ならぬ情報局だ。宇宙軍もここの観察中隊も、味方であるはずの自分達が窮地に追い込んでいる。その汚さを目の当たりにしても、軍人という立場の一個人ではどうしてやることもできない。
ダクウはしばらく黙りこくったままだったが、やがて搾り出すように言った。
「……『貴官の夢をかなえさせてやれずに、申し訳ない』、そう伝えてほしい」
「お預かりします」
晴れやかに応える彼女の潔さが、ダクウにはもうどうにも堪えられなかった。何も言う資格は無い、旧友にもこの忠実な部下にも。だがこれだけは伝えておかなければ。
思わず彼は相手の手を取っていた。
「准尉、自分勝手なのは分かっている。だがもし――万が一、敵の動きが予想を越えて速ければ、命令は放棄しても構わない」
「閣下、ですが――」
「明日の救出は私の独断だ。失敗しても誰も咎めはせんよ。むしろ――中央は我が国の被害が大きければ、共和国の立場を悪くできるくらいにしか思っていない。いたずらに犠牲を増やして、無能共を喜ばせるような真似はしないでくれ。まずは、自身と部下の身の保全を第一に行動してほしい」
言葉というものは、なんとも不思議なものだ。ある一言が、逆の効果を生む。コビクはなんとしても、この命令を遵守しようと決意した。だがそれを言っては、悩める閣下に鞭打つことになる。
「承知しました……ですが、極力ご希望に添えますよう微力を尽くします」
彼の差し伸べられたままの手を、彼女は握り返す。
立場も年齢も性別も無い。悩み苦しみ悲しみ喜びといった厄介事は、万民に平等に与えられた感覚だ。それこそ、人間が人間を人間たらしめる最大の条件であり、いま目の前にいるのは、同じそういった人間どうしなのだ。それが手を通して伝わってくる。コビク准尉にはそんな感じさえするのだった。
ピュウと吹く風の冷たさ。寒さのような感覚を感じることも、また自分が生きている証拠だ。明日は、明日は、どうだろう……？
「准尉ー、コビク准尉殿。どちらにおいでですか？」
従卒が彼女を探す声で、二人は我に返った。
「――閣下も、お連れの方がお待ちでしょう。お引き止めして、まことに申し訳ございませんでした」
「准尉、くれぐれも気をつけてくれ」
ダクウ中将は部下であるはずのコビク准尉に向かって、最敬礼をした。彼女もそれに倣う。
「肝に銘じて。――失礼致しました！」
二人はくるり回れ右をした。いかにも軍人らしく背筋を立て、確かな足取りでその場を離れていった。
なんだか夢を見ていたような気がする。本局勤めの中将閣下と一介の女准尉が立ち話なんて、そんなヨタ話は誰にも信じてもらえないだろう。白昼夢ならぬ黒宵夢とでも言うのだろうか。
そこへ、息子といっても通りそうな年かさの初年兵が、不平たらたらな顔をして駆け寄ってくる。
「准尉殿、こんなところにおいででしたか。どこにもいらっしゃらないんで探しましたよ」
「すまんすまん。どうせ整備屋達が、恨みごとでも言ってるんだろう？ 分かった、行こう」
オマケを引き連れて、何事もなかったかのようにコビクはすたすた歩き始める。
結構な時間になってしまった。夜回りの歩哨が歩いているくらいだ。
「見回り、ご苦労」
「はっ」
すれ違ってそのまま……かと思いきや、コビクは足を止めた。
「ちょっと待った、そいつを貸してくれ」
「はい？」
彼女の言う『そいつ』とは、警備兵が持っているランタンだった。それを持ってキョロキョロあたりを見回す。目についたのは、道端に置かれた大きなブリキ缶。ゴミ箱に使われている油缶だった。中身は入ってない。
コビク准尉は缶の中に紙切れを放り込んだ。そして火を放った。
「極秘文書か何かですか、ソレ？」
初年兵クンは、ぱあっと燃え上がる炎をポカンと見つめる。
「そうだ」
コビクはにやりと笑った。
たかが１枚ぽっきりの紙切れだ。あっという間に燃え尽きた。
「職務中なのに、邪魔をしてすまなかった。ありがとう」
持ち主に火の元を返すと、コビクはまたすたすた歩き始めた。初年兵（というより少年）は慌てて追いかける。
もし、明日の作戦中に殉職するようなことがあったら――その時、あの文書が残っていると面倒だ。中将は独断で命令を下したのだ。成功しようがしまいが、証拠を残してはならない。これでいい、これで……。
だが、交わした手の感触はまだ残っている。この思い、必ず伝えなければならない。今の今も、自分達の戦場で戦っているはずの、かの旧友殿へ――。
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